JSSGS国際交流委員会 海外トピックス (2014年3月)

<植民地主義とクイア・ポリティクスの交差点—ソチ五輪と「反同性愛法」反対運動の裏で>

2013年6月、ソチ冬季五輪をほぼ半年後に控えたロシアで、「反同性愛法(“Anti-gay law”)」が成立し、ロシアにおけるLGBTQの人々の人権と安全が大きく脅かされる事態となりました。モスクワにおけるプライドパレードが禁止されたり、LGBTQグループがNGOとしての登録を拒否される、この法律への抗議行動が暴力的に排除されたり、ロシアにおけるLGBTQの人々への暴力が増加するなど、憂慮される事態が続いています。

バンクーバー五輪で始まった、ゲイやレズビアンの選手や(トランスジェンダーの選手へのサポートは述べられていない)、そのサポーターたちのためのスペースとして設置されたPride Houseも禁止され、カナダで始まり、ロンドンでも様々な取り組みが行われた、ゲイ・レズビアンの選手の五輪への受け入れ、あるいはセーフ・スペースを作る試みの連鎖は、ソチで早くも断たれることとなりました。

これを受けて、欧米諸国を中心に、アクティビスト・グループや政治家などがこの問題を取り上げ、ソチ五輪やそのスポンサーのボイコットを呼びかける運動にも発展するなど、オリンピックを前にセクシュアリティに基づいた差別、暴力が国際的に大きな関心を集めました。しかし、一部で期待された選手自身による抗議行動もほとんど見られず、この法律の暴力性とコーポレート・スポンサーに依存する現代のオリンピアンたちの現状が、沈黙という形で示されました。

この問題は、欧米発のクイア・ポリティクスの広まりと、その限界を示すと共に、オリンピックのための招致、開発にかかる費用と、スポンサー料という巨額の金によりねじ曲げられた現在のオリンピックの姿をさらしました。

また、このセクシュアリティを巡る騒動によって陰に隠されてしまった問題がありました。バンクーバー五輪でも見られた、土地開発と環境、植民地主義を巡る問題です。バンクーバー五輪では、新たなスキーリゾート開発のために多くのネイティブの人々が土地を追われることになり、環境問題や反植民地主義、反グローバリゼーションを掲げるグループと手を組みながら、反オリンピック運動を盛り上げました。しかし、国全体がオリンピックを舞台にしたナショナリズムに酔いしれる中、彼、彼女らの声は、最終的にかき消されてしまいました。また史上初のPride House設置に成功したカナダのゲイ・レズビアン・アクティビストたちは、同じ五輪と人権をめぐる問題である植民地主義の問題には、まったく関心を払っていませんでした。

今回のソチ五輪でも、バンクーバーと似た構図が見られました。ロシア政府における反同性愛法に反対する声は、欧米を中心に大きく広がりを見せ、同性愛問題には非常に鈍感な日本のメディアですら、その問題を取り上げていました。しかし、その一方で、ソチへの五輪招致の段階から抗議行動を行ってきた他のグループ、チェルケス人(Circassians)の声は、特に欧米におけるメディアの中では、反同性愛法への抗議行動の陰にすっかり隠されてしまいました。

黒海の東に位置するソチは、チェルケス人たちのネイティブの土地であり、ソチ五輪からちょうど150年前にあたる1964年、 ロシア帝国による民族浄化で約150万人ものチェルケス人が虐殺された場所でもあります。また、スキー会場に決まったクラスナヤ・ポリャーナ(Krasnaya Polyana)は、ソチから約40キロ内陸に位置する山岳地帯で、まさにその虐殺が行われた地であり、ロシアのエリートたちのリゾート地として開発された場所です。また、クラスナヤ・ポリャーナには、チェルケス人たちの文化的遺産や墓が存在し、今回のオリンピック会場の開発により、それらの多くが破壊されました。

バンクーバーと同じく、今回のオリンピックでは、またしても帝国による植民地主義による土地の奪取と虐殺の記憶の抹殺という構図が見られました。また、植民地支配と民族浄化の問題に基づいた反オリンピック運動と、欧米のクイア・ポリティクスによる反オリンピック運動が今回は結びつかなかった点も、欧米における植民地主義に無批判なスポーツにおけるクイア・ポリティクスのあり方を示すものでした。

2年後のリオデジャネイロもまた、南米における植民地支配の歴史と、ネイティブの人々の生き残りをかけた戦いが行われている土地です。スポーツにおけるクイア・ポリティクスが、植民地主義との交差点で、次はどのような姿を見せるのでしょうか。これらの問題は、スポーツが様々な人権問題との交差点で何を破壊し何を提供できるのか、ジェンダーとセクシュアリティ、民族、国家、資本主義、植民地主義などの大きな視点から、複合的に分析を行っていく必要性を示しているといえるでしょう。