Web Forum 2

女子マネージャーをめぐるジェンダー構造

このWeb Forum2はJSSGS第3回研究大会のワークショップで議論された内容をもとに、HP上でさらに議論を深めるために開設されたものです。以下に、ワークショップの概要を記載しますので、ご一読いただいた上で、ページ下部にあるリンクから、みなさんのご意見を投稿してください。

<テーマ設定>(ワークショップコーディネーター:井谷惠子)

 毎年夏になると、メディアのかなりのスペースと時間が高校野球に割かれる。そこでは、日焼けして汗と土にまみれた男子選手とこれを裏で支える女子マネージャーの献身的な姿が対照的に映し出される。高校野球について言えば、1995年までは女子マネージャーのベンチ入りさえ認められなかった。いわば男の聖域である野球における女人禁制が公然と認められていた社会であった。その後、男女平等を推進する社会的機運とともにマネージャーに正式な地位が与えられ、女子マネージャーもベンチ入りが可能となった。この結果、マネージャーは陽の当たる存在となったものの、前述のように女性役割が強調される現象を招き、このことが女子生徒のマネージャー志望など女性のスポーツ参加に微妙な影響を与えている。
高等学校では、野球に限らず人気スポーツクラブに女子マネージャーがいるのは当たり前の光景になっている。さらにその役割もドリンクの準備や掃除など従来女性役割とされてきたチームや選手に対するケアを引き受けているのが実態と考えられるが、その現状や生徒の性役割意識を把握する試みは僅少である。
1989年に男女差のないカリキュラムが実現し制度面での男女平等とともに、進路指導や名簿など隠れたカリキュラムが見直されてきた。しかし、体育や運動部活動においては男女特性論が相変わらずで、女子マネージャーの問題についても、1990年代半ばに盛んに論議された後、実践でも研究でも検証が進んでいないと考えられる。
 本ワークショップでは、教育実践の場で女子マネージャー問題の調査をされた川野さんにその実態と問題の所在について(発表1)、高井さんには女子マネージャーについての論争(発表2)についてそれぞれ研究成果を発表いただき、その後、参加者とともに女子マネージャーを存続させる社会・スポーツ界・学校のジェンダー構造について議論することがねらいであった。

<発表の要約>

■発表1の要約■
 10数年前に実施された神奈川県高等学校教職員組合の調査を元に女子マネージャー問題の課題が示された。現状とその分析として次のような点が示された。
@「女子マネージャーは好きで選んだものだ」という意見に対し、それはあくまで性による差別構造のなかで、日々刷り込まれた意識によって「選びとらされた結果」として存在している。A社会の様々な場面でメインステージに立てない女たちの姿そのものである。B女子マネージャー本人たちもその仕事に心から魅せられて強い意志をもってやっているわけではない。C女子マネージャーは本来、部員一人ひとりがやるべきことを奪いとっている。D女子マネージャーの存在とその役割は性別役割分業に基づいており、こうした現状は日々学校現場で性別役割分業意識を再生産している。
さらにこの実態は現在もほとんど変化がなく、その理由として、顧問や運動部員、女子マネージャー自身の意識がこの問題性に気づき改革できるほど成熟していないこと、むしろ学校や社会全体のジェンダー構造にあることが指摘された。

■発表2の要約■
 本発表は、1960年代から90年代にかけての女子マネージャー差別論争を社会の状況や時代背景と照らした分析的な提案であった。女子マネージャーに関する論争は、1960年代から朝日新聞紙上で始まった。男子運動部のマネージャーという役割は基本的に男性が担っていたのであるが、高度成長期頃から女性が参入し始め「男性スポーツは女子禁制である」という保守的かつ女性蔑視的な思想と、「女子マネは女性が男性集団に参加して、男なみになることである」という思想のぶつかり合いが起こった。この論争を古典的な「差別論争@」とした。近年では「女子マネージャーとは、社会における性役割分業の反映である」という「差別論争A」が起こり、一方、ベンチ入りできない女子マネージャーの存在を「男女差別である」とする「差別論争B」が存在した。AとBの差別論争は、社会背景は同じではあるが共存するものではなかった。1995年に女子マネージャーのベンチ入りが可能になって以降、「差別論争A」は朝日新聞の紙面から消失し今日に至っている。

<問題提起>

1.議論の対象について
 議論の焦点を絞る必要が指摘された。高校に限定するのか、大学や一般も含めるのか、また運動部の「マネージャー」の問題なのか「女子マネージャー」という存在を俎上に載せるのかなど議論の対象を明確に示すべきである。

2.議論の枠組みについて
 「女子マネージャー」の存在そのものをテーマとする場合、その問題性を整理する必要がる。女子マネージャーの存在すべてがジェンダー問題となるのではなく、「男−女」の非対称的な仕事内容や、「男−女」の序列、権力構造にあるのではないか。

3.実践課題としての「女子マネージャー」問題
 現実には、女性役割を担う女子マネージャーが大半であり、この問題性こそ議論の対象とすべきだろう。女性役割を自ら担う女子マネージャーとこれを期待する男子部員、指導者がいること、またこの状況を容認している学校、スポーツ界の社会的構造を議論する必要があるのではないか。

 
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